じぇにじぇ日記

日々徒然なるままのあれやこれや。

ユニークであること

日本語で時々
ユニークとユーモラスとを
混同している人もあるが
同じ「面白い」という意味になることがあっても

本来ユニークとは
uni=1 つまり「他とは違うひとつの」
という意味。
ユーモラスの方は「ユーモアのある、面白い」

SMAPが歌って流行った花屋の花の歌は
お馴染み「チューリップ」の焼き直しと
誰かが言っていた。

🎵咲いた咲いたチューリップの花が
🎵並んだ並んだ 赤白黄色
🎵どの花見ても綺麗だな

どの花も世界にひとつだけ
ユニークな存在というわけ
たしかにチューリップの唄は
簡単な言葉でその全てを言い尽くしている。


Being unique is beautiful.
ユニークであることは美しい

個性的なことは素晴らしい


そのことに異を唱える人はあまりないと思う。
でも
例えば
子どもたちが生活している学校という場所で
実際にユニークであることを実践するのは
並大抵のことではない。

考えうるありとあらゆる「トラブル」の可能性について
あらかじめそれを防止するべく
ルールが用意されていて
「外れた」ことはちょっこらにはできない。

そもそも同調性を重視する日本文化を
強固に根付かせる「工場」としての歴史を誇る
学校という場所で

子どもたちが他と違うことをするには
かなりの勇気が要るし
もちろん校則にその企ては
事実上阻止されたりもする。



個性を伸ばして




そのフレーズが空しく響くことが
多すぎる学校生活を
多感な若い人たち
息を潜めてやり過ごし

グローバル化だ!とお尻を押されて
海外に行くと
自分よりはるかに精神年齢の高そうな
同世代の若者にたじろいだりする。

学校は若者から自分の頭で判断する機会を
これでもかこれでもかと奪っている。
靴下の色ひとつ決められなくて
何が個性を伸ばすだ。



最近出会い直した高校時代の友達は
高校時代、私にはとても気になった人だった。
その人は校則違反のボタンダウンのシャツを着て
とても斬新な髪型をしていた。

私はその人のユニークさがとても潔いと思い
自分のセンスを大胆に発信できる勇気に憧れた。


当時私は規則は破ったことはないし
破る必要性も感じなかったけれど

人と違うことを恐れないユニークな存在に
惹かれた。



そのことを言葉にしたことはなかったけれど

靴下の色を自由にしてほしい
(実は下着の色さえも統一されているのだけれど)

そんな希望を
生徒会の何てとこだかの場所で
発言するべく

儀式的に発せられるおざなりなセリフではなく
意味のある言葉にして発表しようと
密かな決意を固めているわが子の話を聴きながら
改めて



ユニークであることは美しい
Being unique is beautiful.



若かりし日、異国の地で聞いた言葉とともに
当時眩しく思えたボタンダウンの人のことを
懐かしく思い出している。



f:id:ojenichan:20180510225946j:plain