じぇにじぇ日記

日々徒然なるままのあれやこれや。

縄文ビーナス礼讚キャンペーン



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この一年でかなり嵩を増した。
私が。
つまり太った。
今までは
あまり取り立てて太っていたことがなかったので
急激な変化にかなり戸惑った。

自分の容姿の変貌になかなか慣れない。
はっきり言って落ち込む。

世間に占める自分の体の割合が
ほんの少し増えるだけで
何故こんなに
自分についてネガティブな気持ちになるのか。
おかしな話だ。

これはやはり社会的に刷り込まれたモノに違いない。細いのがいい。とにかく痩せてるのがいい。

欺瞞的な私は今までは
「教科書的な反応」として
「いやいや女性はぽっちゃりの方が」
と言っていた。
しかし自分がぽっちゃりしてくると
たちまち社会の大合唱に思わず加わっている。
なんと底の浅い。

いけない。

細いのが自然な人もいる。
同じようにぽっちゃりが自然な人もいる。
私の場合
おそらく後者だ。
もはや抗うつもりのない重力に
身を委ねるのが自然なことに思える。
それは何となく。
私はぽっちゃりのお婆ちゃんになる予感。

そこで味方につけるべきは
太古の昔作られたという土偶のビーナス。
縄文の昔、女性はふくよかなのがよかった
と伺い知れるのが土偶の女性
「縄文ビーナス」

私は数ヶ月前から孤独な闘いながら
「縄文ビーナス礼讚キャンペーン」を張っている。

人に働きかけたこともあるが
今までは専ら自己啓発的に
土偶の写真を眺めていた。

その際画像と「豊満の美」という言葉を
意識的にリンクする。
イメージトレーニングだ。

その甲斐あって
最近少し
だぶついた自分のお肉が愛しく思えてきた。

自分について肯定的に捉えることが
このキャンペーンの第一の目的だが
出来れば世間の人も
私のお肉に寛容であってほしい。

もちろん

世間の目を気にしない
ありたい自分である

それがこのキャンペーンの究極の目的なのだが
あまりにもアンバランスに
痩せているがよいとされる世の中なので
もうひとつの選択肢
豊満の美
に市民権を
と思うわけだ。

だからどうってこともないが
存在感を増したお腹を眺める度に
がっかりするより
古代のロマンに思いを馳せて
「ああ。美しい」
と詠嘆のため息をつく方が素敵ではないか。

おばさんの増量したお腹のために
ここまで付き合わされた
読者の皆さんには申し訳なくも思うけれど
これそのものもキャンペーンのうち。

豊満の美

ぜひ共有したい美意識なのだ。