親子展
練り消しで立体作品を作る息子。小5。
「プシュー!はー!」
口で効果音を発しながら
練り消しをこねこねして
細かい部分も魔法のように生み出す。
今度、私の絵と彼の練り消しアートで
親子展をしたいと考えている。
うまくいくのか?
あまり細かく考えてないけど
わくわくしてきた。
家中あちこちに彼の練り消し作品が置いてある。
彼の作品ー妖怪や「棒人間」を見ていると
楽しくなる。
家族が見るだけでは惜しいと思う。
十歳の感性。
炸裂している。
親子展ー実現させたいな。
モノにこだわる~青いピアス
ピアス。earrings.
I like wearing blue.
最近使っているのはこれぐらい。気がつくと青いのを選んでいる。
家族で行った旅行先で買ったものや友達の手づくりもある。25年前にアメリカで買ったのもある。
それぞれに思い出があり連想するものがある。
モノに執着すると、それをなくしたときのダメージが大きいから、あまりこだわりがなくいたいけど、その品物が思い起こさせるモノや人と一瞬
会話をするように
例えばその日のイヤリングを選ぶ。
それは特に仕事で人に会うこともない私の毎日のささやかな楽しみ。
日本人女性の声の高さは世界一。
日本人女性の声の高さは世界一
面白い記事。
私も経験から
「日本語で話すときには英語で話すときより声が高い」ように思っている。
でもそれは「英語か日本語か」なのか?
私の思うところは引用記事のあとに。
https://toyokeizai.net/articles/-/227509
「英語で話すときは声が低い」というのは
私の場合
音声学的に何か研究したわけでもないし
経験的に
喉の器官というより
もっと心理学的な問題だと思う。
それは日本人コミュニティで
(よってほとんどが日本語で)
話すときに
その社会的に訓練された文脈で
「声が高くなる」ということ。
家族やごくごく親しい相手には
比較的低い声が出ることが多いので
言語というよりは
だれに対してどういうスタンスで
話すかが
声の高さを決める
大きなファクターになると思っている。
あーれーボチャン!
大事な役者さんたちが亡くなっていく。
同じように大事な役者さんたちが育ってきているのか。私が若い世代を知らないだけで。
寅さんが言ってた。
何で人は死ぬのかと満男に聞かれて
死ななかったら陸地が人でいっぱい。押し合いへし合いになって乗り切らねえってんであーれーボチャン!って海に落ちていくんじゃないか。なんかそんなこと言ってた。
死ぬのは順番。
そういうもんさ。
長らく自分達の仲間だった
その時代の顔が減っていくのは寂しいけど
陸地に乗りきれないんだったら
順番にボチャン!か。
加藤剛さん。
保育園の時に私の夢に出演されてから
幼いなりにドキドキして
それ以来ちょっと特別な役者さんだったけど
順番だからボチャン!かね。
ご冥福を祈りつつ
あまり悲しみすぎない。
寂しいけれど固まらない。
大雨のあとで。SNSのこと。
雨で、西日本がひどいことになっている。
今後のことを考えると気がふさぐ。
うちは被害はなかったけど
何日かわが身に起こる水害を
心配していたからなのか
ずっと体調はよくない。
相変わらずFacebookにバカなことを書く。
しんどいことばかりはイヤで。
でもそんなこと考えなくていいのか。
しんどい人には腹立たしいか。
食べられない人には美味しそうな写真は酷。
でも何が人の気持ちを救うかわからない。
私の苔の写真にしばし心が潤う人があれば
「何を気楽にいい身分よのう」と思う人があるかもしれない。
わからないことを考えても仕方ないのに。
そんなことはみんな軽やかにやっているのか。