じぇにじぇ日記

日々徒然なるままのあれやこれや。

大雨の西日本。そのあとで。

今日からはカンカン照り。庭に水やり。
何日か水に怯えていたのが嘘のよう。
私の無駄に発達した想像力は良い想像に使えとアドバイスをもらう。もっともな話だ。

昨日は何日も雨の心配したあとで、ほっとしたところにまた地震が来て、その瞬間に私が考えたのは映画「ワールド アパート」の一場面。アパルトヘイト廃止前の南アフリカ。白人活動家の女性が警察に何日も(何ヵ月も)拘束されていてやっと釈放されて、外の公衆電話から家族に電話をかけているところに警察が来る。また別の容疑で。その時の彼女の絶望とも言える落胆の感じ。「また90日の拘束!」
昨日は揺れたとき、揺れはけして大きいものではなかったが、私の脳裏をかすめたのは30年ぐらい前に見たこの映画のこの場面だった。

揺れることにも慣れるんだろうか。
いつか来るとわかっている巨大地震
父は十年ほど前に逝った。そのときは七十なんて若すぎる!と思ったけど、こんなことや滅茶苦茶な政治を見ないで逝ったのはよかったのか?
どの時代に生まれてもその時代の苦しみがあるとは言え。

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Craving for conversations 尋常じゃなく書きすぎたので

SNSに書きすぎたので
ライム(押韻の詩)を書いてみました。
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Craving for conversations
I had to write in the quantity which must have been a sensation
If I had kept all to myself
I would have felt like a tiny elf
Smashed with two huge dictionaries on a gigantic bookshelf
Apologies to those who had to swipe me off
Must have been too much
No need to stay in touch
But I would very much appreciate
If you understood at any rate
That our friendships I value
Mean tons to me and you have no clue
Whatsoever indeed

「悲しき慕情」の景色

カーペンターズの「悲しき慕情 Breaking Up Is Hard To Do」

https://youtu.be/wpulStzGv4A

この曲は失恋の曲なのに調子はけして暗くない。

「行かないで。別れるのはツライわ。できたらもう一度やり直したいわ」という未練がましい内容を軽快なリズムで歌う。

私は実際若いとき、恋愛関係が終わるときに、しばらく心の腰が抜けてしまって(心に腰があるとしたらだが)立ち上がれず動けない時間を、この曲を何度も聴きながらやり過ごした。

なんでこんなに明るいメロディで歌うんだろうとボンヤリ考えていた。

悲しいとき、わざと悲しい曲を聞いて、ぐっと徹底的に悲しくなって、どっぷり悲しみに浸り、味わい尽くして悲しみを昇華するという手もある。
中島みゆきなんかがいいんだろうか。

でもカーペンターズのこの曲のように悲しい内容を敢えて軽快に歌う。それも、失恋のショックの唖然とした中にあって現実を見据える準備を始めるまでの、止まったような時間の隙間を埋めてくれる。

若いとき。もう世界が終わったかのように立てなかった「失恋」の瞬間。数日間。

でもそのあともまた性懲りもなく恋愛し
やっぱりまた失恋し
カーペンターズ中島みゆきのお世話になった。

「失恋」かぁ。
もうあんなドラマチックな心の動きは
勘弁してほしいなと思う。
気持ちがバスケットボールみたいに
高いところからボーンと落ちる。
その衝撃は相当のものだ。
かなり痛い。疲れる。
あんなことはもう嫌だ。

今はもう安全なところにいて
遠い日の「悲しき慕情」を
懐かしく思い出すおばさんになってしまった。

いや、安全かどうかは確かではない。
状況に翻弄されるバスケットボールにならないように用心深く振る舞っているだけだ。

「悲しき慕情」は好きな歌だけど
もう若いときのように
気持ちを重ねては聴きたくない。

失恋はいくつになっても切ない。
あるものがなくなる。喪失感。
それは想像するだに
哀しい。

ぽっかり空いた穴は
埋まるのか。
埋めるのか。
埋めなくてもいいのか。

歳を経ることでわかることはたくさんある。
でもこのことは
やってみないとわからないジャンルのことなので
ぼんやりと想像して
怖くなって戻ってくる。
考えないでおこう。

できれば死ぬまで考えないでいれたらいいなと
思いつつ
口をついて出てきた
「悲しき慕情」をYouTubeで拾って
改めて聴く。
若いときの恋愛が切ないと言うよりはむしろ
懐かしいものとして甦ってきた。

しかし
聞きようによっては
この歌はまだやり直おせる余地はある歌だ。

私は失恋を乗りきるために聴いたけど
ほんとうに二人に再出発の可能性もあるのかもしれない。

いずれにせよ
実際に生活と重ねては
もう聴きたくない。

いろんなことの浮かぶ懐かしい曲。

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誕生日のケーキ

自分の(笑)誕生日ケーキ作りました!
作ったと言ってもデコレーションだけです。

わが家では基本的に
お誕生日の人が自分のケーキを好きにデコレーションする権利があるので
今年は私もやってみました。
なんてったって
花の半世紀だから!(*‘ω‘ *)イヤン
☆50☆

今夜は夫も帰って来るので(あ、いや、帰るのはいつも帰るけど)
急遽、思いつきで今夜は私の誕生日祝い。
粉もんパーティー。お好み焼きです。
つまり冷蔵庫の掃除!(笑)

何年も冷蔵庫に眠っていたアラザン(銀色の砂糖の粒)を一掃。友達にもらったチョコソースも使って…
どうだ!大人のテイスト、出てない?(笑)

アクシデントをアクシデントに感じさせない
行き当たりばったりのデザインが光る!
(自分で言うな)

これに細いロウソク5本立てます。

さて
お好み焼き作りましょう。

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助手席の紫陽花

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紫陽花と出勤 part 2

夫殿の職場へ。
朝は時々私が送っていく。
私が、というか、彼が運転して行き、
帰りは空の車を私が運転して帰る。
助手席で紫陽花の花瓶を持っていると
また写真が撮りたくなる。


庭の紫陽花はひとつの株。
そこからいろいろな色の花が咲いている。
もう花も終わりかと思ったが、
まだいけそうなので、
予めお砂糖を入れた水に生けて
夫の事務所に持っていく。
前に持っていったのと微妙に色が違う。
これを持って夫が事務所に入ると
「わあ!」と華やかな女性の声が上がるのが
容易に想像される。



食堂兼居間の食卓で
長く目を楽しませてくれているわが家の花瓶は
ペットボトルも入れて5本。実に壮観だ。
今朝はこちらもみんな水切りして
新しい砂糖水を入れ換えた。
まだまだ大丈夫そうだ。
紫陽花ってすごいな。



本当に六月いっぱい楽しめそうな勢いで

庭の紫陽花
食卓の紫陽花

綺麗に咲いている。

本当に庭に神さまはいると思う。