じぇにじぇ日記

日々徒然なるままのあれやこれや。

チューリップ教


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今年はチューリップに狂った春だった。
さして大きくもない北向の庭の
チューリップ
50個の球根から伸びた
色とりどりのチューリップを
毎朝夕、飽きず崇めた。

写真を撮り
ため息をつき

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他人が見ればそう違いもないような
しかし艶やかで美しい
チューリップの写真が
みるみる増えていった。

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角度により光の当り具合が変わる

ぼんぼりに光を頂いたように
ぽおっと光るチューリップ

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この撮り方は
写真が上手い友人に教わった。f:id:tomokookane:20180509165335j:plain


この蛍光色のチューリップに慣れてしまうと
普通のチューリップの絵では物足りない。


朝な夕なに
花を愛で
ため息をつき
シャッターを切る。

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しあわせな春だった。

花がうねりだし傾くと
急いで切り花にして
花瓶で楽しんだ。
定年退職後また違う道で
第二の人生を謳歌する人のようだとする
自分の喩えに満足した。

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花はハラハラと花びらを落とし
賑やかな季節が終わるのかと
寂しくもあったが

やがて膨らむ紫陽花のつぼみに
新たな楽しみを託して
音を立てて一つパラリ
またパラリと散っていくのは
潔くもあり。
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芽吹きの春に
チューリップ教を開いたような私だが
梅雨にはきっと
薄紫の宝石のような
紫陽花の花に魅せられて

朝な夕なに
スマホを構えて
またため息をつくのだ。

紫陽花教。
それもまたしあわせになれる宗教だ。

花は狂おしいまでに
人の心をとらえる。
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花があり
花を愛でることができる心のゆとりを
ありがたいものとして感謝しよう。